3流技術者なりの生き方
今日は僕の仕事観について少しだけ書こうと思います。いや、夏侯惇。
僕は15歳から建築の勉強をして、建築設計の仕事をしたことは以前ブログに書きました。
そこで尊敬する先輩のおかげで頑張れた話も書かせて頂きました。
「100点じゃ無くてもいい」
「僕に出来ること」
「トライ&エラー」
それ以外にもたくさん励ましの言葉を先輩からは頂いたけど、今日はその中から次の言葉について書きます。
「出来ないことがあるときにどうするか?」
人生上手くいかないこと出来ないことってたくさんあると思います。
人付き合いだったり、料理だったり、スポーツだったり。例を挙げたらキリがないけど、それは仕事だってそうだと思います。
僕は技術者としては3流だと思っています。
今でもその考えは変わっていないです。
よく作図間違えてたし、レイヤーぐちゃぐちゃだったし、知識も浅かったし、構造計算なんてちんぷんかんぷんだったし、何度も怒られてきました。
やったことない、初めての仕事や図面ではいつも不安で一杯でした。
「わんたろう君、これをいついつまでに書いて欲しいんだけど、できる?」
「え、あ、書いたことないんで...自信ないですけど、間に合いますかね?」
こんな会話をした事がある。あの日の会話は鮮明に覚えている。
上司や先輩が部下に仕事を振る時、いろんな背景はあると思いますが、その当人に出来る能力があるからこそ初めての仕事でも挑戦させたり頼んだりする事がある、覚えて欲しいから、成長してほしいから。そう言うものだと思ってます。中には奴隷のようにやりたくない仕事を押し付ける人もいますが...
とにかく、当時の僕はそんなことは全く頭にありませんでした。
あるのは不安だけ、ミスしたらどうしようと言う不安だけ。
先輩は言いました
「俺はわんたろう君なら書けると思ってるから頼んでるんだけど?」
「初めてで不安なのも分かる。けど、出来ないこと、初めてのことが発生した時、どうすればいいと思う?」
僕はこう答えた。
「え、質問することですか?でも僕何回も聞いて迷惑かけるかもしれません」
とにもかくにも、消極的で、質問の意図が分からなかった。
先輩は僕にこう教えてくれた
「質問するのは当たり前。出来ないことがある時は、諦めたりするんじゃなくて、まずは自分の思うように、自分の考えを持って書くことだよ」
「それで俺に出してきた図面が100点じゃなくても、50点でもいいんだよ」
「わんたろう君の考えで書いたものが合ってれば俺は褒めるし、違えばその時教える。そして書き直す。その過程で質問してくれてもいい。それを繰り返して100点に近づけていくんだよ。トライ&エラーで仕事すればいいんだよ、サボってるわけじゃないんだから」
「だから出来ないことをどうすれば出来るようになるか考える事が大事。それが技術者だよ」
「もちろん締め切りには間に合うようにして欲しいからそこはよろしく!」
と教えてくれた。
僕はその言葉が深く心に刺さった。
今まで僕は仕事にしても恋愛にしても何にしても出来ないこと、手にする事が出来ないこと、全てから何か理由をつけて逃げてきた。
でも、先輩の言葉を聞いて、それじゃいけないんだと気づいた。
僕は自分の思うように、自分の知識を総動員して書いた。書いては修正が入り、書いては変更があり、書いては質問をし、書いては励まされ...図面を発行した。確認申請を下ろし、着工し、建物が建った。
「ほらね、出来るじゃん。出来る事が増えたじゃん」
作図する過程で取ったコミュニケーションの大事さ、スケジュール管理の必要性、技術的な知識。僕は今でもそれを忘れていない。
技術なんてものは1日では、1枚の図面では身につかない。出来ないことや失敗を重ねて、経験して身につけていくものだ。
今の仕事は支援者だけど、CADの講義をする中で、いや、仕事全般を通して、僕は技術者何だと思う時がある。
それに悩む時もあるけど、それはそれでいいじゃんと思えるようになれたらいいなと思う。
そんな技術者としての体験談を1ミリでも伝えることができたらいいと思う。
僕は3流の技術者だけど、1流の技術者の言葉を、仕事観を持っている。
とても大切なもの。
これからもこの気持ちを忘れずに仕事をしていきたい。
人に何言われてもいい。
大切なものが何かは分かってる。
僕は僕の思いを持って、僕のやりたいように仕事をする。
もちろん、この仕事観が理解できない人、間違ってると言う人、馬鹿だなぁと思う人がいると思うし、それが間違ってるとは思わない。
多種多様な価値観や仕事観や人生観があるから。
そんなお話でした。
過去について
最近、昔のことについて考える時間が多い。
みなさんは過去について考えることはありますか?
楽しかったことだけじゃなくて辛く苦しい過去もきっとあるでしょう
消せない過去は誰にでもあって、二度と思い出したくないこともあるでしょう。
僕にもあります。
最近、昔の事を思い出すだけじゃなく、夢にも見ます
その度に気分が落ちてしまう。
辛かった家庭のこと、仕事のこと、恋愛のこと
まぁ家庭のことは親にも親なりの事情があり苦しかったと今では思えるし、一時期でも親のことを憎んでいたことは申し訳ないと思っている。
仕事は過労で体調崩したり、意味不明なパワハラ上司にぶち当たったりしたけど、それはそれで良い経験だったと今では思えるし、その経験をネタに今の仕事に活かすことが出来ている。ようは考え方のベクトルを変えることだ。それができれば気持ちはだいぶ楽になる
恋愛に関しては10代の頃からまともな付き合い方してなかったし、いろいろ遊んだし、いろいろ裏切ったり裏切られたりした。
ほんとどうしようもないとは思ってる。
本当は忘れたい。
愛は永遠だと言うなら、いつまで苦しめばいいのか。また、いつまで苦しめてるのか
そんな感じで過去のことを思い出す。
冒頭にも書いた通り、過去というのは消せなくて、過ぎたことは変えようのないどうしようもないことで、時には相手に嫉妬するという醜い感情を抱いたり、自分に自信が持てなかったり、人を許せなかったり、愛されたいと思ったり。
手に入ったり、失ったり、元から持ち合わせていなかったり、色んな過去があると思し、そういう過去を過ごしてきた。
でも、いつまでも過ぎたことを考えていてもどうしようもないこともわかってる。わかってるから苦しいこともわかってる。
苦しかったことも辛かったことも、その過去の積み重ねを経験と呼び、人生と言うなら、これからの人生、それらをどう活かし、どうおもしろおかしく生きてくかを考え、苦しいことは思い出の中でじっとしてもらって、思い出さなくてもいいような未来で塗りつぶすように生きていく。
そんなことができたらきっとこれからの人生悪いものじゃない。幸せにだってなれると思う。
僕はこれまでの自分を深く反省している。
人を憎んだことも、嫉妬したことも、嘘をついたことも、裏切ったことも、傷つけたことも。
消せない過去も消せない罪も自分の中にある。忘れるわけじゃない。
でもだからこそ、もう前に進もうと思う。
きっとこれからも失敗はすると思う。今までもたくさんしてきたし。
でも、失敗はしたけど、後悔はしてない。
今では仕事もそれなりにやってるし、大切だと思える人もいる。
過去は過去
大事なのは「これから」だから
失敗をするのが人間だと言うなら、これからを変えていけるのも人間だから
今までの弱い自分とはお別れをして、これからを生きていきます。
支離滅裂な記事になったけど、この辺で終わります。
転職した話
ブログを書いては消して書いては消してをしてたけど、久々に書こうと思います、夏侯惇。
1年前に書いたブログでは、10年以上やってきた建築設計の仕事を辞めたことを書きました。
その時は本当に建築はもうダメだ、あの世界には戻らないと強い決意をしました。
そして、数ヶ月ですが、別の仕事をして、今の仕事に就くことができました。
今の僕の仕事は、福祉のお仕事です。
福祉の仕事というと介護だったりをイメージする方がいると思います。
あまり詳しくは書きませんが、まぁいろいろサポートをする仕事です。
人前にも立つし、外出もするし、デスクワークもあるしで色々やってます。
まぁそれなりに楽しくやってます。
未経験で入社したからと言うのもあって慣れるのは大変でしたが、人生その気になればなんとかなるもんですね。
入社を決めたきっかけですが、転職活動をしていた時、正直やりたい事なんて無かったです。だからなかなか上手く行きませんでした。
30歳にもなって退職して、離婚して独り身で、やりたいことも無くて、本当に人生詰んでるなーって思ってました。
建築を辞める時、支店長から「やりたい事が見つかるまで会社に居ればいい」と言われたのを断りましたけど、やっぱり見つかりませんでした。
でも、あの時「転職活動に失敗しても建築を辞めることに後悔は無い」と言ったこと、それは嘘ではありませんでした。
とは言え、やりたい事、自分にできる事、分からないまま時は悪戯に過ぎていくだけでした。
そんな時、今の会社の求人を見ました。
給料とか休日とか色々条件良くて、目を引かれたけど、気になる一言が。
「CADが使える人を募集してます」
僕は二度と図面を書かないと決めて退職をしたので、この求人はスルーだな。とページを閉じました。
それからしばらく求人検索してたけど、なかなかコレというのがなくて、非常に困ってました。
そんな時、思いつきで、もう一度あの求人を見ました。
またしても目に入ってくる「CAD」という文字。
僕はうーん、うーんと悩みました。
もう二度と図面を書かない、それ以前にこの仕事に見合うだけのスキルもない。僕は技術者としては2流どころか3流だという自覚があった。
でも、だけど、やっぱり自分にはこれしか無いと段々思うようになった。
15歳から建築の勉強して、図面書いて、社会に出て、色んな図面書いては怒られ、書いては自信を無くし、書いて書いて書いてきた。
前職で、あまりにも自分に自信が無くて周りを困らせてるんじゃ無いかと不安になることがあった。
「僕が書くの遅くてすみません。ちゃんと書けなくてすみません」
その時先輩はこう返した
「そういうのいいから。求めてないから」
「俺は図面が書けないから君にお願いしてる。君にしかできないから君は今ここにいる。でも君にできないことは俺がしてる。そうやって仕事は成り立つんだよ」
「100点の図面じゃ無くてもいいじゃん。自分の思いがあって書いたのならそれはとても意味のある事だよ。その上で何かあれば俺がチェックする。だからトライ&エラーでやって行こうよ」
「君はとてもいい図面を書く。ちゃんと仕事の進め方をわかってる。だから頼りにしてる」
先輩は色々僕に教えてくれました。
時に褒め、励まし、叱り...
僕のこれまでの仕事観がガラッと変わり、新しい気持ちで仕事ができるように、図面が書けるようになった。
この先輩の事は今でも尊敬してる。
話は戻って、その求人で悩んでた時、その先輩の言葉を思い出した。
「君にしかできないこと」
僕にしかできないこと、僕だからできること。
転職活動をしていて自分には何も無いと思ってたけど、そんな事なかった。
自分は図面が書ける、CADが使える
この仕事は未経験で知らない世界だけど、きっと自分にできる事はある。僕には図面を書くスキルも、建築の知識も、経験もある。
成功だけじゃなくて、失敗や挫折、色んなことを活かし、伝えることができる。
それが知らない誰かが変わるきっかけに、前に進むきっかけになるなら、もう一度図面を書いたっていいじゃん。
そう思うようになった。
福祉に関してはそれ以外にも思うところがあったから、この求人に応募することにした。
建築を、図面を捨てる覚悟をしたけど、もう一度やる覚悟を、拾う覚悟をした。
面接をして、結果内定を貰えた。
後から聞いた話だけど、「CADのスキルはイマイチ」という面接内容だったらしい。
おかしいな〜、CADは4種類使えるんだけどなぁ笑とか思ってたけど、それでもよかった。
周りからどんな評価をされても何を言われても関係ない。その人たちにできないことを僕はできるし、他者の期待を満たすために働いているわけでも、ましてや生きてるわけでもない。
大事なのは何なのか、自分で分かってる。
そこがブレなければ平気でいられる。
僕は僕のために、僕のやりたいように仕事をする。
いつか先輩が言ってくれたように、自分のできることを自分らしくするだけ。
今の会社に入って、CADのテキストを12本、その他のテキストを数本作ったけど、僕は自分の仕事に自信を持ってる。
そのテキストで仕事をして、誰かに少しでも伝わるといいなと思ってる。
ありがたいことに、誰かの「これから」のきっかけになることができた。
昔の僕のままならきっと今の仕事に自信がなかったと思う。
でもそうじゃない。先輩に叱られたあの日、捨てた図面を拾う覚悟をしたあの日、僕は変われた。
変われる強さがある。変わらぬ想いもある。
これからもそんなことを伝えて行けたら、そう仕事できたらいいなって思う。
何言われても平気とは言ったけど、まぁそのうち見返してやるからなとだけは思うかな。
僕は心が狭くて性格が悪いから、根に持つから
どんだけ周りに嫌われても馬鹿にされても、自分らしく自分のやりたいように自信を持って働く事は変わらない。結果なんて後からついてくるし。今はその過程を楽しむことにするよ。
繰り返しになるけど、僕は転職したことになんの後悔もない。
失敗はたくさんしてきて、失ったものもたくさんあるけど、何一つ後悔はしてない。
今の仕事をしていて良かったと思います。
大切な彼女も今の会社で出会うことができたしね。
それはまた別のお話。
長くなったけどここらへんで終わります。
とにもかくにも、それなりに楽しんでます。
これからもそれなりの熱量でそれなりに仕事をこなしてそれなりの時間に帰って彼女との日常を楽しみます。
あー、早くボーナスでないかなぁ
転職の話
僕は10年近く建築の設計の仕事をしてきた。
来る日も来る日も図面を書いてきた。
時にはコンペの資料作ったり、雑務したり、申請書類作ったり、現地調査したり...色んなことをやってきた。
いつもいつも納期に追われ、社内外から無茶な要求もされてきた。月の残業時間80時間超えが何ヶ月も続くのは当たり前で働いていた。
僕は仕事はそつなくこなす方だったので提出日に図面発行できないなんてことは一度もなかった。頑張って納期を守ってた。
それを10年繰り返して、ふと思った。
「これが本当に僕のやりたいことなのかな?一生これを続けていくことができるのかな?」
僕は正直建築に興味がない。好きでやっているわけでもないし、やりがいも感じない。
ただCADが使えるからこの仕事をしているだけ。興味無いことをずっとやるのは苦痛でしかなかった。設計は激務の割に見合った給料はでない(会社によると思うが)
僕は心が折れていた。周りからの期待も応援も素直に受け止めることができなかった。
そして、退職することを夏に決意した。
もともと今年の初めに辞めたいという相談をしていたが、その時は引き止められた。
「自分のやりたいことが見つかるまで今の会社に居ればいい」
と言われた。
それから半年経ったけど辞めたいという気持ちは変わらなかった。
思い立って即退職の話をしにいき、やっぱり引き止められたけど、辞めるという意思は曲げなかった。職を失っても、転職活動失敗しても、転職先が今より給料低くても後悔はしないと伝えた。
まぁなんやかんやあって転職先を在職中に見つけることができました。
休みは減るし、給料最低限だけど、建築よりは興味持てる業界に転職決まったのでなんとか頑張ってみようと思います。
もっと詳しく書こうとしたけど、途中でめんどくさくなりました。
機会があれば転職先で働き始めてからまたブログに書こうと思います。
今日はこの辺で。
かけがえのない友達
GWも終わりになる今日この頃、高校の同級生との飲み会があった。
あ、今日もいつもの公園のベンチでこの日記を書いてます。
高校の友達、みんな中学はバラバラだけど高校3年間同じクラスだった。(うちの高校はクラス替えがない高校)
僕自身コミュ障で友達が少ないのもあるけど、小学校〜高校倒してもこうやって今でも集まるのはこの会くらいだ。
メンバーは同じ部活の仲間。僕含めて6人。今日は1人欠席したけどもだいたいいつもGW、お盆、年末の長期休暇の時は集まってる。みんな職種はバラバラだけど休みと予定を合わせてる。
臭いセリフ、こっぱずかしいけどこうやって集まれる友達がいれるのは本当に宝物だと思う。
高校の時の思い出、今の仕事がどうか、将来どうするか、彼女はどうか、家庭はどうか...気兼ねなく話せる友達。
僕は本当に心からこの集まりを、友達を大切に...宝物に思う。願わくば死ぬまで続けばいいと思ってる。
彼らの幸せは僕の幸せ、彼らの悲しみは僕の悲しみ。
「仕事でつらいことがある」
いいよ。飯食いに行って話そう
「子供が生まれた」
おめでとう!お祝いしよう!
「また集まろう」
もちろん、当たり前だ。
かけがえのない友達だ。それは一生変わらない。
僕は1ヶ月禁酒したのを今日解禁した。また禁酒再開します。
無
無理